孫孝行
今日は、おじいちゃんに会いに老人ホームに行きました。
長年、同じ市内にいるのに1時間以上かかるとはいえ、あまりにも会いに行けてなくて、いつのまにかおじいちゃんは、老人ホームに入ってしまい、今更ながら孫としておじいちゃんのために何かしようと真剣に考えるようになりました。
今日は、手作りで、写真をコラージュしてプレゼントしました。殺風景だったおじいちゃんの個室の部屋に飾ると少し明るく楽しくなったかなと思います。
おじいちゃんも喜んでくれてるみたいでした。
おじいちゃんは、私がもう生まれた時から
実は半身不随状態で長年、車イス生活でした。
私の母が子供のときに脳梗塞で倒れたのだそうです。
今もその生活は変わらず、声を出して発音することがしっかりとできないので、伝えたい意思があっても、懸命に口を動かすけど、100%聞き取るのは難しいのです。よだれが出ることもあるし、それをおじいちゃん自身でキレイに拭くことも難しいです。
お母さんの生い立ちやおじいちゃんの長い長い車イス生活をたまに思うと胸が痛みます。
色々、複雑な母の実家にはなかなか足が向かなくて正直、気が滅入るため、頻繁に足を運べませんでした。
なぜ真面目に生きてるおじいちゃんが、おじいちゃんの家族がこんな目に合うんだろう。
人は本当に生まれながらに不平等だと強く思ったし、またそうさせる運命的な何かに怯えていました。
そうやって今までは、悲しい気持ちになっては、おじいちゃんが奪われたものや出来ないことにばかりに気がいっていました。
でも、おじいちゃんに何かしようと本気で思ったとき、気づきました。
私が与える人になればいいんだって。
神さまみたいには、なれないけど、おじいちゃんだけが貰える特別な何かを私がプレゼントすればいいんだな!って。
そう思ったら、おじいちゃんに会うのがさらに気がラクになりました。
おじいちゃんは、小さい背中で可愛い笑顔だけど、ひとつひとつゆっくりと自分のペースで丁寧に生きていて、生きる意思が強い人でした。
プレゼントしたコラージュも写真がナナメになってたら、まっすぐにしてって、リクエストしてくれました。こだわりがちゃんとあるおじいちゃん。私に身振り手振りで、一生懸命伝えくれました。
なんだかおじいちゃんは、私よりずっと生きる力の強い人で頼もしかったです。
おじいちゃんが車イスになったとはいえ、当時もしかしたら、そのまま命を落としてしまうこともありえたわけで。
もし、そうなら今の私がおじいちゃんの笑顔を見ることも話を聞いてもらうこともできなかったわけで。
命が助かったこと。
それ自体が幸運で、とても運が良かったのかもしれない。
そう今なら、思うこともできます。
おじいちゃんが嬉しい!楽しい!って思える瞬間を今年は、もっとプレゼント出来たらいいな!